2011年02月07日

かつら、その2

熊本現代美術館で催されている、舟越桂展を見てきました。

NEC_2159.JPG





舟越桂氏は、彫刻家。
私は、天童荒太の著作の装丁で知りました。

この展覧会に出された彫刻の中にも、それらがありました。


上の写真の彫刻は、「永遠の仔」の表紙に使われたものですね。

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彫刻を観に行くのは、私は初めてでしたが、
会場に入って、その存在感にちょっと息を飲みました。

大きさは、ほぼ実際の人間と同じくらい。
どれも胸像。
80年代の作品から、2000年代のものまでが、年代別に展示してあります。

どの作品も、凛とした静かなたたずまいで、
思慮深いまなざしをしています。
目には、大理石を入れているのだそうですが、
この「目」が、穏やかでありながら、なにか訴えかけてくるものがあります。

ふと思いついて、彼らと目を合わそうとしてみました。
ところが、どんなに移動したり離れてみても、目が合うことがありません。

どこを見て、何を考えているんだろう?

ヒノキの木肌は、滑らかに彫られて、木目を残してあるところもありますが、
それが逆に、肌感を増しているようにも思えます。

一見、どれも同じ顔に見えるのですが、
よく見ると、耳が、鼻が、まぶたが、
微妙に違います。
当たり前ですが、それぞれ、別の人なんですね。




モデルが存在するようなものを作っていた80年代に対し、
90年代に入り、人間と山を結びつけた作品を制作。
00年代には、スフィンクスとしての人間というテーマでの制作が行われます。

人間であり、自然であり、獣であり、男であり女である、
いろんな面を持った人間の多面性を表現しているのだそうです。





真っ白な壁には、彫刻の他に、舟越氏のドローイング作品や、
雑誌や書籍に掲載されたインタビューからの抜粋も。






その中の一文が、ひときわ鮮やかに私の胸を打ちました。



「人間というのは正しいものだ、私はそれを表現できていればいいなと思っています」



簡単に言えば、性善説ということでしょうか。
敬虔なカトリック信者だとどこかで読みました。
いろんな面を持っている人間だけど、根本には正しくありたいという心がある。

目新しい概念でもないのですが、
真っ白な壁に囲まれた、この静かな空間にたたずむ、
美しい肌を持った彫刻たちを目の前にして、
この言葉がガツンときました。



彼の作品を表紙に使っている、天童荒太氏の作品からも、
そういった願いのようなものをいつも感じます。





NEC_2158.JPG
posted by おくさま at 18:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 今日のすてき☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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