2010年06月13日

死刑と松子と母親と

映画「告白」観てきました。


みほまめたんの記事を見て、お?もう見たんだ?
と思ってたら、ちょうどレディースデイだったので、
さっそく行ってきました。

原作もなかなかの内容。
「嫌われ松子の一生」の監督だというので、
あの独特の色彩世界なのかと思ったら・・・





◆あらすじ(yahooより)

とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、
教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。
「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、
娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」
教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。





原作同様、登場人物の「告白」という形で進んでいく物語。

冒頭、松たか子が語りだす、教室内のおそろしいまでの混沌。
好きなようにしゃべりっぱなしの子どもたち。
歩きまわるし、ケータイ使い放題。
先生が話しだしても、その雑然とした状態は変わらない。
むしろ、
「森口がなんか言ってるけどお〜?」みたいな横柄な態度。

この段階で、もう、この映画の恐ろしさは決まったような気がした。



マスの残酷さ。
第三者の無責任さ。



その後、犯人、犯人の母、共犯者?などの告白が続く。
その誰もが、狂気に満ちている。





この映画を観る少し前に「死刑」(森達也)という本を読んだばかり。
死刑という制度について、存置か廃止か悩む著者。


悪いことをすると、警察につかまるんだよ〜。
人を殺すと、死刑になるんだよ〜。

・・・と、子どもの頃教わって、そのままの認識でいたけど、
実際は、人を殺しても、死刑にはならないことを知らない人も多い。
無期懲役も、一生牢屋暮らし、ではなく、何十年かで出られる。
少年だったら、10年以下で出られる。

死刑を執行する刑務官や看守の談話や、
冤罪被害者の談話、死刑囚との手紙のやり取りなどを取り上げ、
死刑という制度についての疑問を語る著者。

私は、小説「13階段」で初めて、死刑というものがどのように執行されるのか知った。

日本では、首つり。
つられてから、すぐ即死するわけではないので、20分はそのままにしておくんだそう。

執行人は、一人ではない。
数人でボタンを押す。
誰のボタンが足元を開けるものかはわからないようになっている。

「13階段」は、その執行人の話だった。
死刑囚とはいえ、人。自分は人を殺すのだ・・・



著者は、犯罪の被害者の感情ももちろん取り上げる。
少年に妻子を殺された、本村さんとのやり取りも紹介。

その上で、死刑=人が人を殺すという制度に疑問を投げかける。








映画「告白」に戻ると、
娘を殺された松たか子は、犯人に復讐を始める。


(復讐というと、私は韓国の映画「親切なクムジャさん」を思い出す)


前述の「死刑」でも、孫を殺されたおじいちゃんが
「許されるんだったら、殺してやりたい」と言う。
本村さんも公言していた。

だけど、日本では復讐は許されない。
でももし、許されるなら?
映画やドラマみたいに、できるだろうか。
直接、相手に刃物を向けて、それをその体にしずめることができるだろうか。
できる人ばかりじゃないと思う。

私は、松たか子やクムジャさんになれるだろうか。

だから、その代わりの「死刑」。
というのが、存置派の意見。




しかし、復讐したら、終わりではない。
死刑執行されたら、終わりではない。
加害者は、そこで人生を終わるが、被害者の家族はまだその先を生きるのだから。











長くなりそう。
つづく。





posted by おくさま at 20:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 今日の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は死刑制度に賛成論者なのだけど
裁く人、刑を執行する人はやりきれない気持ちに
なるだろうとは思う。

冤罪だけはあってはならないけれど、
確実に罪を犯して情状酌量の余地がない加害者は
生かしておく必要が無いと思う。(税金を遣って)

遺族が一生悲しみ、憎しみや後悔を背負っていかなければいけないのだから、
そんな思いをさせた当人は世の中から消えるべきだと思う。
何の解決にもならないとしてもね。

Posted by みほまめ at 2010年06月14日 00:32
死刑について、ほとんど知らされていないのが現実。
マスコミが発表する、事件の概要、加害者被害者の関係者のゴシップ的な記事を読んで、
どちらかに感情移入し、
間をすっとばして、いつの間にか時間が過ぎて、
死刑が執行される、というわけ。

制度としての「死刑」は、いろんな問題があるようだけど、
殺人という罪に対しての罰である「死刑」はアリなのかなと思う。

でも、殺人にも、面白半分に殺すようなものと、
情状酌量の必要があるものとあると思うし、
殺人犯でも、心の底から反省して、償いを願う者もいると思うんだよね〜。
そこは希望を捨てたくない、という気持ちもある。

・・・な〜んて、客観的なことを言えるのも、
まったくの第三者だからかも。
Posted by パスピエ at 2010年06月14日 19:29
以前ブログで「インタープリター」という映画を紹介しました。
その中でやはり死刑が論じられるのですが。

私が以前ちょっと書いた仇討ち制度。
本当に憎しみや懲罰として被害者が相手に手をかけられるだろうか?

愛する家族を陵辱され殺されたらあまり躊躇なくできるかも。
できるかな?
死刑廃止が極悪犯罪の増加を生んでないことは先に廃止した国が証明してますが、そのことと被害者の気持ちは別物ですし。
難しいですね
Posted by シュガ at 2010年06月16日 20:51
私、できるかな・・・
というか、もし仮に、怒りにまかせて、復讐をかなえたとしてもやっぱり、
それでハッピーエンドにはなれないですよね。
クムジャさんも松たか子もそうだと思います。

死刑が犯罪の抑止力には、けっしてなっていないんですが、
死刑になったことで、結果、改心することになった殺人犯もけっこういるみたいです。
死刑にならず、期限付きの刑期で、そこまでの心の変化が望めるか、というと・・・

Posted by パスピエ at 2010年06月17日 18:21
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